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002 春過ぎて   --- 持統天皇

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    春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山
    - 新古今和歌集 夏の部 -

    部立:夏

    3字きまり

    はるぎてなつきにけらししろたえの ころもすちようあまのかぐやま


    「夏来にけらし」けらしはけるらしの約、夏が来たらしい。
    「白妙の」白い布。枕詞として用いられることもある、白妙の富士の高嶺・・・。
    「衣干すてふ」てふはちょう、というの約、衣(着物)を干すという。


    春が過ぎて、いつしか夏が来たのであろう。天の香具山あたりに、白い布の着物が干してあるのが、点々と見えている。
    ---夏が近づいて来たので急いで、白い衣服を取り出して干すという、その時代の国民の簡素な生活がしのばれる歌。


    作者の持統天皇は、天智天皇の皇女うのさら皇女。天武天皇の皇后で、天武天皇崩御の後をついで第41代の天皇になられた。
    天智天皇が亡くなられて後、日本の皇室には、大きな悲劇が起こった。天智天皇は、はじめ皇弟大海人皇子(後の天武天皇)を皇太子に立て、鸕野讃良皇女を皇太子妃とされたが、まもなく大友皇子が代わって皇太子となり、天皇の崩御によって第39代弘文天皇となられた。
    やがて大海人皇子との争いとなり、弘文天皇は敗れて崩御、大海人皇子が即位して天武天皇となられ、鸕野讃良皇女は皇后となられた。鸕野讃良皇女と弘文天皇は姉と弟の間でありながら、敵、味方に別れて争った。この事件が壬申の乱として史上に残されている。
    天武天皇の崩御についで皇太子の草壁皇子も亡くなられたので、皇后が即位して持統天皇となられ、在位10年で皇孫文武天皇に位を譲られた。
     

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    001 秋の田の   --- 天智天皇

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      秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ
      - 後撰和歌集 秋の中 -

      部立:秋

      3字きまり

      あきたのかりおのいおのとまをあらみ わがころもでつゆにぬれつつ


      「かりほの庵」かりほは仮庵の約で、仮に建てた小屋、仮小屋の家。刈穂ではない。
      「苫をあらみ」苫とは菅や茅で編んだもので屋根を葺く材料、あらみは粗い。その苫の目が粗くて、粗末なので。
      「わが衣手」自分の着ている着物の袖。


      稲の実った秋の田、取り入れが終わるまで、鳥や獣に荒らされないように仮小屋を建てて、夜毎に番をしている。 その屋根を葺いた苫の目が粗いので、冷たい夜露が入って来て私の着物の袖を濡らしている。
      ---侘びしく、辛い農民の生活を詠まれた御製で、わがは作者である天皇ではなく、農民をさしている。


      天智天皇は、第38代の天皇で、御母の皇極天皇(後に斎明天皇)及び孝徳天皇のときの皇太子中大兄皇子。皇太子として、政治上の実権を握り、大化の改新を断行された。
      旧い氏族制度を代表する蘇我入鹿は、聖徳太子の一族を滅ぼして、その横暴が極点に達していた。中大兄皇子は、中臣鎌足(後の藤原鎌足)らと力を協せて、蘇我の一族を滅ぼす機会をつくった。
      そして孝徳天皇のとき、初めて年号を制定して大化と号し、645年大化の改心が断行された。
      大化の改心は、氏族制度を打破して、新しい国家の基礎をつくった大改革で、皇族や豪族の土地人民の私有を禁じ、戸籍や租税の制度を定め、国、郡の制度をはじめるなどの改革が行われた。
      天皇に即位されて、都を近江の志賀にうつされ、学校を興し、時の制定など文化向上の基礎を建てられた。
       

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